わたしのなかの、あんこ

和菓子って、どんなものを想像するって話を昨日は書きました。
 
でも、わたしたちのwebマガジンは、小豆が主役なんです。
わたしの脳裏の記憶で、匂いと結びついた小さいころの風景が、いまも強烈に残っているのは、あんこなんです。
 
 
 
小豆と出会った方に、ほっと癒される時間、背中や肩の力が抜ける笑顔の時間を届けたい想いには、小さかった頃のわたしの頭のなかの風景があります。
 
いまコンクリート造りのマンションに住んでいます。
自宅キッチンで小豆からあんこを炊いていると、小豆が煮えるときの独特の匂いが大好きです。
その香りを、鼻の穴をひろげてぐーんと吸い込むと、小さいころ、おばあちゃんにあんこを届けにゆくときに通っていた風景が、いつも目の前に広がります。
 
住んでいたのは、奈良盆地の南のほう。
葛城山二上山の間の山ふもとで、青々と田んぼがひろがる風景です。
 
おばあちゃんは、あんこが大好きでした。
なにか季節行事があると、母はかならずおはぎをつくって、おばあちゃんにとどけていました。
 
そして行事がなくても、あんこだけをお弁当に詰めて届けていました。
あんこだけです。
 
おばあちゃんの仕事は、工場の夜勤明けの方の朝食づくり、そして昼食、夕食、夜食づくりと、働く人の食事づくりを一手にひきうけ、さらに食事時間の合間に畑の世話。
あんこをとどけにゆくのは、おばあちゃんがいつもいる工場の台所。
もし工場の台所にいなければ、近くの畑へおばあちゃんをさがしにいってた夕方の風景。
台所で、冷蔵庫からあんこのはいった弁当箱をとりだし、スプーンですくってひとりでぱくっとたべるおばあちゃん。
 
母のつくるあんこを特別おいしいといつも言ってくれてたので、母もせっせとつくっていた。
道の途中の田んぼと、畑と、おばあちゃん、そして家でことこと煮えてる小豆の鍋。
 
ゆであがった小豆に砂糖を入れ、小豆が煮えあんこになってゆく匂いといっしょに鍋をかきまぜていると、そんな断片がなぜかいつもぶわっと目の前にひろがります。
 
たった10分、小豆をかきまぜている時間です。
10分短い?長い?
 
できあがったあんこは、家族とのおやつになったり、だれか遊びにきてくれるときのデザートになったり。
 
いまのわたしを支えてくれている人々と、そして小さかったころのわたしを支えてくれた人々とが、あんこを煮るほんの短いあいだに、わたしのなかで出会います。
小豆料理やあんこをつくるとき、いまと昔のいちばん身近な人の顔がうかぶ時間。
 
支えてくれるひととの毎日のかかわりのなかでいただく気持ちになる、小豆はそんな食べ物なんです。
わたしの中の原点と未来がつながる時間のような。
 
そして、支えてくれるひととの間のなかでいただく時間は、ほっとひといきつきたくてあんこにあつまってくる自然な笑顔の時間です。
ひとりでなく、みんなで食べる記憶。
 
だれかとの間で、ほっと笑顔があつまる記憶。
そんな時間の積み重ねがあるから、身体と頭に「あんこはほっとできる時間をつくってくれる」って染み付いてる。
 
 
みんなでおいしいあんこをたべて、ほっとする時間。
あんこをたべて、また次の活動へとぱっとちってゆくチャージの時間。
毎日の生活のなかの時間を、ほっと癒してリセットし、次への力をわかせてくれる。
 
わたしにとって、小豆やあんこは、そんなほっと癒される風景なんです。
 
昔のわたしといまのわたしの大切にしたい風景を、こころのなかでいつも思い返す、落ち着いた幸せを感じることができる時間にしてくれる、あんこと小豆。
 
azkiプロジェクトメンバーが持つ名刺の裏側には、「好きな小豆の食べ方」もしくは、「好きな和菓子」がそれぞれ個別に書かれています。
 
わたしの名刺では、「あんこをスプーンですくって食べる」と書いてもらっています。
なぜかというと、おばあちゃんがスプーンですくって食べていたのと同じことを、いまのわたしもやっていて、それが好きな食べ方だからです。
 
 
小豆と和菓子を広げるazuki magazine活動の、ビジョンとミッション。
 
【ビジョン】
小豆を囲んで幸せな笑顔の時間をつくる
 
【ミッション】
世界の女性に、日本の伝統から、健康と美容を届ける
 
 
和田美香